2018年4月13日金曜日

病理の話(190) 顕微鏡あるいはその周囲にある病理診断の真髄

「顕微鏡をみないとわからないもの」をみて診断するのが我々病理医の役目である。

あらゆるモノを使って、医療者は病気の理(病理)と生命の理(生理)を判断する。そのモノというのは、まず第一に患者の声を聞き訴えを理解する問診(医療面接)であり、次に患者自身が自分では気づけていない変化をことばにする診察であり、血液検査であり、生理学検査(呼吸機能評価、心電図など)であり、各種画像検査、CTやMRIや内視鏡や超音波などである。

目で見て、手で触って、感じて、考えてわかることが無数にある。その上でなお、顕微鏡をみないとわからないものとは何か?



病気を構成する細胞ひとつひとつ。

細胞の中で起こっている遺伝子の変化や、タンパク質の変質・増減。

こういったものの一部は、いかに面接をしっかりし、画像を丁寧に読み解いても、ミクロの世界すぎて到底うかがい知ることはできない……。

できない……。



「ほんとうにそうだろうか?」

「ほんとうに、この病気は、顕微鏡をみない限り、わからないだろうか?」




たぶん、なのだが、病理医の真の役目……というか、仕事のキモはこの問いかけにある。

細胞をみることでわかったことが、次に同じような患者がやってきたときには、細胞をみなくともわかるようにならないだろうか?

これができる病理医は強い。




なんだか胃の中に周囲とは違う模様、周囲より際だってみえる色の違い、ちょっとした粘膜の高低差がある。

はじめて胃カメラで胃を覗き込んだ人は、この変化がなぜ起こるかわからない。

どうしてここだけ周りと違うんだろう?

そこでプレパラートを作り、顕微鏡で、ミクロの世界で何が起こっているだろうかと調べる。

結果、その場所では、本来決まった数だけ存在しているはずの細胞が、際限なく増えていた。細胞数の適度な調整というやつができなくなっているとわかった。細胞が無限に増え続けるような遺伝子の異常があり、これをほうっておくと、増えちゃだめなレベルまで細胞が増えてしまう。

そういうことが、顕微鏡をみて、わかったとする。

「そうかあ、この色調の違い、周囲と比べたときの違和感、少し粘膜が厚くなっているかんじは、細胞が増えているから起こっていたのか」

解釈をする。




次に胃カメラを覗くときには、その人はきっと知識がひとつ増えている。

「こないだとは別人に胃カメラを入れて調べてみたら、こないだ見たのと同じような変化を見つけたぞ」

ここで、人は考える。

「また、前回と同じように、細胞が増えているのではないだろうか」




もしかしたら、細胞が増えているのではなく、炎症で粘膜がむくんでいるだけかもしれない。

もしかしたら、細胞が増えているのではなく、アミロイドと呼ばれる特殊な物質が沈着しているだけかもしれない。

前回と、見た目はほんとうに一緒だろうか。盛り上がっているのは一緒だが、色調は全く同じだろうか。もっと胃カメラの倍率を拡大させて、細かい血管までみられるようにしたら、その見た目は何か違ってはいないだろうか……。

前回よりもはるかに深い考察を加えた後で、あらためてプレパラートを見てみる。

同じか。

違うか。

同じとしたら、どれくらい同じなのか。程度も全くいっしょか、それとも前回の病変に比べるとより派手な変化になっていたりはしないか。




さああらためて言い直そう。

「顕微鏡をみないとわからないもの」をみて診断するのが我々病理医の「第一の」役目である。さらに、当初は顕微鏡でないとわからなかったものを、たとえ顕微鏡がなくても診断に肉薄できるようにするのが、我々病理医の「第二の」役目である。

この「第二」がないと、病理医という仕事はなかなか脳内にしみ込んでこないと思う。