2018年3月6日火曜日

ぼくはひとり大人になれた

網走出張から帰ってきたらブログのストック(記事の書き溜め)があと6日分にまで減っていた。逆にいえばこの先6日間は書かなくてもいいわけだから(しかも土日は更新してないわけだから1週間以上だ)、だいぶ余裕があるのだけれど、つい先日まで13日分程度ストックしていたせいか、心もとなく感じる。

みんなはどうしているんだろう、書いたらすぐ公開しているのだろうか。ストックして順番に公開している人というのはどれくらいいるのだろうか。時はインスタ全盛時代。

仮に書き溜めを用意するにしても、2,3日分あれば十分な気もするけれども。

慣れというのはおそろしい。ストックがないと不安になってしまった。

実はなにがどう不安なのかはわかっていない。

けれども、きちんと言い表せるならばそれはもう不安とは呼べないのだと思う。正体がつかめないとき感じるのが不安だ。表現して解析できるならばそれは単なるリスクであったりウィークポイントであったりコストであったりする。

ぼくはばくぜんと不安になり(不安というのは常にばくぜんとしている)、こうしてPCを開いてブログを書き始めている。

テレビをつけたらスウェーデンとアメリカがカーリングで激突していた。今日は平昌オリンピックをやっている最後の土曜日。

どこの国の人もみんなヤップヤップいうんだな。




今日のぼくは、考えの持ち合わせがない。

自分の中になにもない日に、ブログの編集ページを開いていると、さて今日は何が自分から引き出されてくるのかなあ、と少し楽しくなる。

こういう感情を楽しめるのは、最近はブログの記事を書いているときだけだ。

たとえば人と会話をしているときにも、「何が起こるだろう」と楽しみにする気持ちはある。

けれどそういう「他人と作り上げる、まだ見ぬものに対するよろこび」を、最近少し感じにくくなってきた。



まず、他人と話をしているときに自分から出てくるものが、汚かったり、くだらなかったりすると、自分にがっかりしてしまう。がっかりした自分を見ながら、なぜこんなものが自分から出てきたのだろうと自分を責める。さらに、もし自分がへたなことをいったせいで相手がこの時間を無駄に感じてしまったら申し訳ないなあと罪悪感がわいてくる。最後にこんなに縛られながら誰かと一緒にいることがストレートに苦痛となり、その苦痛を味わっている自分がめんどうくさくてつまらないなあと落ち込む。

会話の場で、ただ単に笑っていることが増えた。相づちをうち、リアクションのパターンをいくつも用意して、からっと笑う。それが一番「相手の意向に沿うこと」だ。

なんかそういう風に自分が「なってきている」ことに気づいて、しらけている。




そうか、今日の空白を、ぼくは自己嫌悪で埋めるのかあ。

少しおもしろくなって、記事入力欄を眺めている。もっと書けるなあ。





会いたい人がいる。しかしぼくはその人に会ったとして、自分から何も差し出したくないし、相手から何も引き出したくない。ぼくは今、誰かと一緒に新しい何かを生み出したくなんてない。おもしろいイベントも、含蓄にあふれたことばも、文殊の知恵もセレンディピティも運命の導きも、なにもいらない。

ぼくは自分から何かを引き出そうとする動きに疲れてしまっているし、相手から何かを引き出して一緒に練り上げようとする自分の試みにうんざりしている。

できればその人は、ぼくの仕事場のほど近いところに住んでいるといい。肩書は「知人」がいい。飲み友達まで昇格させると自分が忙しくて飲めないときに申し訳なくて、申し訳ないという連絡をたまに取らなければいけないのが圧倒的に面倒くさい。そういうわずらわしさ、水臭いという感覚、微妙な距離感、あるいは恋愛感情などがスパイスになり人生を豊かにするという考え方はよくわかる、でもその考え方は今のぼくには必要ない。今のぼくはパキスタンカレーみたいだ、スパイス以外で味付けをしていないし水の入る余地もない。

何かくさくさとした日、職場から車で帰る途中に、コンビニから出てくる知人を偶然みつけて、窓をあけて、「焼き鳥食わねぇ?」と声をかけ、「あー今晩飯買っちゃったよ」「明日の昼にでも食えよ」「だいたいお前車だろ」「今置いてくるから」みたいなノリで、なんだかんだで臭いがついてもいい服かどうかチェックしてからのんびり焼き鳥屋で合流するまでに40分くらい経ってて相手はすでに2本目のホッピーを飲んでいる。ぼくも彼と同じ鳥の串とネギを注文し、札幌では少し珍しくなってしまった瓶のビールを飲む。特に今日この人に話さなくてもいいけどとりあえずほかに相手もいないからしゃべろうかと思った、さっきラジオで聞いていた話題を口に出そうとしたとたん、店に据え付けのテレビからカーリングの歓声が聞こえてきて、話題はうやむやになって、次に彼が何か口にしようとするのでぼくは仏頂面でそれを黙って聞くのだ。どうせ答えなどは出せない。ぼくはそういう意味で全く彼の役に立っていない。それでいいのかどうかはわからない。ぼくから聞かないし彼も言わない。それくらいの関係が



テレビから大歓声が聞こえた。アメリカが1エンドに5点もとったのだ。カーリングとしてはちょっとすごい点数が入ってしまい、試合の趨勢は決し、ぼくはブログの記事で次に書こうと思っていたエピソードを忘れてしまった。確か昔、そういう場所がどこかにあり、そういう相手がどこかにいたような気もするのだが、断言できる、ぼくにはそんな相手はいないし、何が出てくるだろうと楽しめる場所はもっぱらPCの前なのである。楽しかった。