2018年3月30日金曜日

病理の話(185) 病気発見のコツ的なやつ

病気の発見にはさまざまなコツがいる。



たとえば、咳が出て熱が出て鼻水が出ていたら「あっ、かぜかな?」と気づくことができるだろう。

けれども、たとえば大腸のポリープなどというものは、ふつうは症状を呈さない。

症状を呈さないということは本人が気づけないということだ。気づかないから病院にかからない。だから見つからない。

「症状が出やすいかどうか」によって、病気の発見の難しさは変わる。



多くの「がん」は、かなり長い間……一説によると10年以上にわたって症状を呈さない。だから、患者本人は自分ががんであることに気づけない。

まあ、がんがすべて「早期発見すべき」とはならないのだが。この話は以前にも書いたので今日はやめておくけれども、とにかく、「がん」ということばに怯えて思考停止してしまってはいけない。



今日はとりあえず「病気の発見の難しさ」のことを書くので、「がんの多様性」についてはいったんおいておこう。



膵臓がんのうち、「通常型膵管癌」というタイプのがんがある。これはできるだけ早く見つけたほうがよいとされているがんだ。なかなか症状が出ない。症状が出るころにはけっこう進行してしまっている。

症状が出る前に見つかるのは、たいてい、CTとか超音波のような画像検査によって見つかったがんだ。

小さくてまだ症状を呈していないがんが、どうやって見つかるか?

画像検査に、「膵臓の中に周りとは違うものが映り込んでいる」ことで発見される。

この「周りとは違うもの」というのがくせ者である。



がん細胞というのは、正常の細胞と違う挙動を示すのだが、実は、正常の細胞と「そこそこ似ている」。

温泉に入っていて、裸の男性が何人かいるとして、そこにヤクザが混じっているかどうかをどうやって判定する?

みんな人間だ。みんな男性である。体がでかくてチンチンが豪華ならヤクザだろうか? ラグビー選手がみんなヤクザに見られてしまうのもかわいそうだろう。

入れ墨を彫っていればわかる。けど、仮想通貨の詐欺に関わるようなインテリヤクザタイプだとまず気づかないだろう。

がん細胞と正常細胞の違いもこれに似たところがある。要はどちらも「上皮細胞」という細胞の仲間であるから、そこまで大きく性状は違わないのだ。

だったら、画像検査ではがんはどういう感じで見えてくるのか?



まず、「徒党を組んでいる」。

普通の臓器には、さまざまな細胞が混在して決まったパターンを形成している。町中にスマホショップやパティスリーや交番が入り交じっているように。

その中に、「駐屯地」を作るヤクザの集団がいたら目立つだろう。まずは「異様なカタマリ」を探す。



次に、「アジトの形成がある」。

がん細胞と正常の細胞はけっこう似通っているのだが、がんというのは自分たちだけで増えることはできないで、多くの場合周囲に「自分が生きていくための足場、アジト」を作る。このアジトが実はかなりごてごてと派手なので、画像ではがん細胞そのものよりもむしろ、「がん細胞のアジト=線維性間質」が見えてくることが多い。

ヤクザだけだと見極められなくてもハコをみればそうとわかる。



そして、「正常構造を破壊している」。

症状を来していないからといってあきらめない。まだ症状は出ていないかもしれないが、がん細胞というのは多かれ少なかれ周囲を破壊し始めている。だから、「何かのカタマリの周りがぶちこわれはじめている像」に気を配る。

臓器の輪郭が乱れていないか? 周囲が引きつれ始めていないか? 



こういうのをマクロレベルで探すのが、CTや超音波などの画像検査だ。画像でわかるくらいの変化があれば、医療者はまだ症状が出ていない段階であっても、「犯罪の痕跡」に気づくことができる。

けれど、これって、結局は、程度問題である。

破壊行為が派手ならば見つけることはできる。でも微細だったら?

引っ越してきたばかりのヤクザが手始めに近所のデニーズで店員に絡んだ、くらいの段階で、はたして街角の防犯カメラはヤクザを発見できるだろうか?



こういうときに、顕微鏡が役に立つ場合がある。

顕微鏡がみるのはミクロ、すなわちとても小さい範囲を拡大したものだ。がん細胞がわずかな悪さをしているところを見つけることもできる。



けどちょっと考えて欲しい。

あなたはヘリに乗って街を見下ろしている。どこかの建物の中で悪さをしているチンピラがいるとする。たとえばそれは3丁目5番地にあるデニーズの中かもしれない。ここで、「どの建物を拡大してみるか」によって、チンピラが発見できるかできないかが変わってしまうだろう。うっかり5丁目14番地のローソンの中を拡大したってチンピラは見つからないかもしれないではないか?

顕微鏡でみるというのもこれといっしょだ。「どこを採取してくるか」という、検体採取場所をきっちり考えておかないと、まるで見当違いの場所の細胞をじっくり見たって、いつまで経っても「がんの証拠」はみつからないのである。

現代の病理診断医というのはしばしば、CTや超音波などの画像所見に詳しくなり、「どこから細胞をとるべきか」というのを考えなければいけなくなる。昔に比べるとだいぶ仕事が増えている気がする。

まあ昔の病理医は昔の病理医で信じられないほど難しい仕事を難なくこなしていたんだけれども……。聞いた話だが、「ぼくは昔、グラマンが飛んでくるのを見つけて撃墜する仕事をしてたから、リンパ節の中のがん細胞1個をみつけるなんて造作も無いことだよ」といった病理医がいたとか、いなかったとか。