2018年2月21日水曜日

病理の話(172) せっかくだからMRIのこと

前回の「病理の話(171)」でX線とかCTの話をしたので、今日はMRIの話をする。

ちなみに次回(173)では超音波の話だ。(174)では内視鏡の話をしよう。(175)では……「身体診察」にしようと思う。





前回、X線を使った画像というのはいわゆる「影絵」であるという話をした。CTはずいぶんといろいろよく見えるが、あくまで高度な影絵技術である。

では、MRIも影絵か? というと、ちょっと違う。

MRIという機械は……「音を聞いて、ピアノの鍵盤の叩き方を思い浮かべる装置」と例えることができる。

なんのこっちゃ? と思われる方むけに、例え話をする。



ぼくは譜面があまり読めないが、これを読んでいる方の中には、「信号のチャーラーラーラーラララーを聞くと即座にドレミの譜面が思い浮かぶ」人がいらっしゃると思う。

そういう人は、電車のホームに流れるメロディも、焼きいも屋さんのいしやきいもコールも、サッカーのチャントですらも、譜面で思い浮かべることができると聞く。

この、「音を聞くと、譜面が思い浮かぶ」というのは、よく考えるとおもしろい。メロディという音声出力から、譜面という画像情報を思い浮かべるというのは、(使う五感のことなる)まったく違う現象同士を関連づけているわけで、実に高度な情報処理である。

さらに、「耳コピ」となると、なおすごいぞ。

「音を聞くと、ピアノの鍵盤の位置や、ギターの弦の抑え方が思い浮かぶ」。音という出力の元をたどって、「どの鍵盤をどう叩くか」という複雑な運動情報にたどりつかなければいけない。脳ってのはほんとにすごいよね。



さて、MRIがやっていることは、この「耳コピ」に似ている。

MRIの場合は音ではなく「電磁誘導による電場と磁場のゆがみ」をみていて、ピアノの鍵盤ではなく「プロトンという物質の密度や配列」を思い浮かべている、のだけれど。まあ高度な耳コピだと思えばいい。




X線をあてて、通過した・しなかったで影絵をつくるのとは根本的に違う検査である。

物体にあてるもの(磁場)と、そこから返ってくる情報(電場)と、情報をもとに組み立てる画像(プロトンの密度や配列など)の、すべてが異なっている。「影絵」ではない。




もともと、影絵というシステムはかなり優れているのだ。病気を診断するとき、臓器や病気そのものの形状(シルエット)をきちんと調べ、内部にどのようなものが詰まっているかを(X線の透過性の違いを用いて)きちんと評価し、造影剤によって血流情報まで調べることができるのだから。ほぼ完ぺきである。

一方で、MRIは、プロトンの密度や配列の違いを映し出す「だけ」の検査。しかもなにやら耳コピめいた複雑な処理をしている。

これでは、CTのほうが情報が多いではないか! と思ってしまう。




しかし、この、「プロトンの密度」というのが、実はおそろしく情報が多いのだ。プロトンの密度を調べることは、ざっくりと説明するならば「水分の量」を調べることにつながる。

水分の量?




豆腐を3つ置きます。

木綿豆腐と絹豆腐と高野豆腐です。

これらのシルエットはいずれも箱型。見た目にはいずれも「豆腐」。

だけど触感が違う。食感も違う。おしてじゅわっとかぼろっとする感覚も違う。

これらを一番端的に説明しようと思ったら、「水分がどれくらい、どのようなかたちでふくまれているか」を見るのがいい。

豆腐と人を一緒にするなって?

人体の60%くらいは水だっていうじゃないか。人体だって豆腐みたいなもんである。

たとえば体内に「結節(カタマリ)」があるとする。それは、がんかもしれない。膿(う)みのかたまりかもしれない。血が出てかたまったものかもしれない。これらがいずれも似たようなシルエットだったとき、MRIを用いると、その「成分(水分などの微妙な違い)」を読み分けることができる。まあCTでもある程度わかるんだけど。MRIをやると段違いに情報が増える。




CTとMRIで同じ臓器、同じ病変をみても、得られる情報はそれぞれ異なる。これらを統合して病気のありようを推測する専門家が、放射線科医だ。彼らはCTとMRIを使い分け、読み分けるプロである。そこまで必要なのかよってくらい病気の本質に迫りまくる。彼らと酒を飲むとおもしろいぞ。




次回は超音波の話をしよう。エコーというやつだ。