2018年1月19日金曜日

病理の話(161) 創傷治癒しようそうしよう

切り傷を作ってしまったとする。

ナイフで指をちょっと切った、くらいを考える。考えるだけでいやだよね。

主にぼくらは痛みそのものと、血が出ること、さらにもうひとつ、審美的な理由で傷をいやがる。しかし人体にとってはもうひとつ、重大な「いやなこと」がある。

それは、「皮膚の細胞が欠損してしまう」ということだ。

欠損するとなにがまずいか?

皮膚はすなわちバリケード。強固な防御力を表現する日本語に「水も漏らさぬ」という表現があるが、文字通り、皮膚のおかげでぼくらは風呂に入っても水分が体内に入ってこない。これは実はすごいことである。

このバリアが部分的に欠けてしまうのは、とてもまずい。刺激物、毒、病原菌などさまざまなものが入ってきてしまうし、血液や組織間液のような体内のものが漏れ出てしまうことにもつながる。

バリアの欠損部は直ちにふさがなければいけない。まずはスピードを重視する。クオリティは二の次で、すぐに穴をふさぎたい。ここで登場するのが、かさぶた(血小板プラスいろいろ)。

かさぶたなんて、よわっちい。子供が指ではがしてしまえる程度に弱い。

けれど、いいのだ。まずはすぐに穴をふさぐことこそ肝要だから。

そして、今日の話は、その後……。創傷治癒のセカンドステージの話をする。



少し時間の経ったかさぶたをはがしてみたことはあるだろうか?


そこには、まだ少しじめじめしているような、じわりと血がにじんできそうな(でもピューッとは出てこない)、赤みがかっていかにも「肉々しい」、ふだんあまり目にすることのない肉が見える。

これを肉芽という。ATOCだと「にくが」と入力しないと出てこないが、医学用語では「にくげ」と発音する。

肉芽は、土嚢(どのう)の役割を果たす穴埋め物質だ。生体がダメージを受けて欠損部ができたときにしか登場しない。かさぶたよりもしっかりした硬さをもち、組織の足りない部分を補ってくれる。

どのうと書いたが、実は単なるどのうではない。

赤いというのはつまり、血流が豊富な証拠。肉芽には、細かい血管が非常に高密度に含まれている。大量の毛細血管に潤沢に血液が流れ込み、組織の再構築に必要な物資を次々と運び込む。

単なるどのうではなしに、「災害復旧ボランティアが集まってくるキャンプ」にもなっている。それが肉芽だ。

肉芽の中や周りには、時間とともに線維芽細胞(また「芽」だ)という細胞がたくさん現れる。線維芽細胞はタケノコだ。いずれ強固な竹(線維)になる。この竹で、バリアはさらに強固に組み直される。線維は弾力があるので、周囲の組織をひきつれさせて、穴をふさぐ手伝いをしてくれる。傷がひきつれて痕が残るのはこの線維のしわざであり、審美的には困ったものだが、人体にとっては穴を一刻も早くふさぐために大変役に立つ。


かさぶたによる一時的な穴埋めから、肉芽による物資供給、そして線維による盤石な硬さ、ひきつれ。

線維が完璧に防御しているあいだに、失われた組織がほぼ完全に元の構造を取り戻すことができれば、線維は最終的には吸収されて消えてなくなる(なんて都合のよい物質だろう!)。穴が大きすぎて元通りの復旧ができなかったときには、線維はそのまま居残って、硬さとひきつれを残す。これがいわゆる「古傷」である。


以上の創傷治癒は、ケガだけでなく一部の病気でも起こっている。炎症が起こり、臓器の破壊がある場合には、再生の段階で切り傷と同じように肉芽が作られるのだ。

ただし、組織破壊があれば100パーセント肉芽による再生がおこるわけではない。例えば結核菌や寄生虫などによる炎症では、なぜか肉芽がうまくできてこないことが多い。

ああ、読者諸氏も、いよいよ難しい話になったなあと思ったろうか? 申し訳ない、細かいことはともかく、「災害復旧ボランティアが集まりにくい病態」というのがあるのだ、くらいの理解でよいかもしれない。

実は今日の記事はちょっとした私信なのである。これを勉強している人がタイムラインにいたのだ。参考になればいいなあと思う。彼はきっと、今回の記事で少し視点を増やしてくれるのではないかなあ、と思う。