2018年1月15日月曜日

病理の話(159) がんと戦うための横綱技は

ぼくは昔考えた。

60歳くらいになったら、毎日少量の抗がん剤を点滴してみてはどうなのか、と。

そうしたら、まだ小さくて人体に影響を及ぼさない時点でのがん細胞を、未然に倒すことができて、結果的にがんを予防できたりはしないのか……と。


結論からいうと、ま、そんなことはむりなのであった。

理由をいくつか書く。





まず、抗がん剤って、種類がいっぱいあるのだ。がん細胞の種類によって、効きやすい抗がん剤というのが異なる。

だから、あるAという抗がん剤をずっと使っても、ある種のがんにしか効果がない。

万病に効く予防薬というのがそもそもありえない。




次に、抗がん剤というのはある程度の濃度を用いないといけない。

がん細胞が少ないなら抗がん剤も少なくしていい、というものではない。

少なく入れては意味がない。




さらに、がん細胞が「出始めたころ」には、あらゆる抗がん剤の効きが悪いのではないか、という仮説がある。

特に、がん細胞の「女王バチ」ともいえる存在……「がん幹細胞」は、細胞分裂の回数が少なく、かつ抗がん剤が効きにくいらしい。

抗がん剤というのはそもそも、ある程度進行したがんにしか効かない可能性すらある。

がんの初期に用いて意味がある抗がん剤、というのはまだ開発されていないのだ。




おまけに、出始めたころのがん細胞というのは、体内の警察システム(免疫)によって、ぼくらが何もしなくても、ほとんどの場合は未然に倒されている。わざわざ抗がん剤を飲むまでもない。そういう免疫を宝くじなみの確率ですり抜けたやつだけが、ぼくらの目にみえるサイズのがんに育つ(だいたい10年くらいかけて)。




そうそう、金だってかかる。

でも、仮に、ビルゲイツみたいな大金持ちが、毎日大金を投入できるとしても、毎日抗がん剤を投与することには意義がないのだ。

もう少し医学的な用語を解禁すれば、まだまだ「がんにかかる前から抗がん剤を飲むことに意味がない理由」を語ることができる。けれど、医学的な用語を使わなくても、いくらでも理由が思い浮かぶのだった。





ぼくは、医学生のときの自分の考えを、こうして覚えていて、覚えた知識を使って、「ああー無理だなあー」と納得したりする。

かつて、「あれ? 実はこうしたらいいんじゃね?」と夢想していたことのほとんどは、医学的に検証してみるとどこか穴があり、破たんしている。

今、ぼくが信じているがん理論も、後の世の優れた医学者から見れば、どこかは破たんしているのかもしれないけれど……。たぶん、大多数は合っている。これらはぼくの一存ではなくて、医学が積み上げてきた歴史だからだ。多くの人々の目を通り抜けてきたことがらばかりだからだ。




今、とりあえず「真実だと思うよ」といえることがある。それは、「がんと戦うときに、裏技というのはありえない」ということだ。

がん理論には統計と確率というのが必ず存在する。この治療が効く確率、この治療薬が効果をもたらす割合……。

これらをすべて乗り越えた、何にでも、どういう状態にでも作用する夢の薬というのは、理論上ありえない。

いかにもな裏技、マル秘テクニックなどで、今の健康生活を何倍にも延ばすことができるかというと、そんなものは存在しない。

一個一個、これはここまで役に立つ、これはこういう人に役に立つ、と、地道に詰めていくしかない。診断も治療もオーダーメードだ。層別化しなければいけない。患者ひとりひとりにタイプがあり、病気ひとつひとつに種類があり、進行度があり、確率がある。

それらに個別に対応していくのに必要なのは誠意と知恵と少しの運であって、ウルテク(©ファミマガ)ではないのである。