2017年9月14日木曜日

病理の話(121) なぜ手術をしどうして病理診断をするのかって話

手術で臓器をとってくる「理由」を考える。

たとえば、「がんだから」手術をします、という理由がある。これをもう少し深く掘り下げる。

「ある種のがんが、ある程度周囲に潜り込んだりしみ込んだりしているとき、手術をすることで患者にメリットがある。だから手術をする」

なるほど、ではそのメリットとは?



1.長く生きられる。

2.痛み、苦しみが減る。


だいたいこのどっちかである。




病理診断でがん細胞を見ているとき、あるいはがんに限らず、手術で採ってきた臓器をみるとき、

「この手術をすることによって、患者にはどういうメリットがあったのかなあ」

ということを考える。

実は、そんなに患者のことを考えなくても、病理診断することはできるんだけれど。

細胞ががんであるかどうかを判断するだけのことに、患者の顔を思い浮かべる必要はない。細胞のことをきちんと勉強しておけば、用は足りる。

それでも、ぼくらは、診断とは直接関係しない、「患者にとってのメリット」を思い浮かべながら診断をする。




――患者はこの手術によってどれくらい長生きできるんだろう、患者は医者とどのような相談をしてこの手術に臨んだんだろう、手術で失った部分があるならば、それだけデメリットもあるはずなのに、それでもなお手術を選ぶだけのメリットがあったということだ、そのメリットというのはいかばかりだろうか。

――手術をしなければどれだけの痛みがあったのだろう、どれほど苦しんでいたのだろう。この手術によって病巣がとりのぞかれ、その結果患者は苦しみから解放されたのだろう、さて、どれほど苦しみが減っただろうか。

細胞とは関係ないだろうけど、考える。



──医療統計の論文を読む。ある病気に対し、ある手術をすると、どれくらいの確率で患者がどれほどよくなるか。逐一論文になっている。ガイドラインと呼ばれる指針にまとめられている。数々の教科書に書いてある。それをきちんと読む。

細胞とは関係なくても、読む。



──臨床医が何を考えているのかを知ろう。書を捨てずに、医局に出よう。主治医には意図があり、こうなれ、と思った願いがある。患者に直接会わないぼくたちも、臨床医をはじめとする医療者であればいくらでも会うことができる。

細胞とは関係あるわけないけど、聞く。



その上で。

とうに患者から切り離されてしまったプレパラートの中に、患者の苦しみを見定めるヒントを探す。

顕微鏡で臓器をみるときに、がん細胞や病巣そのもの以外にも、あらゆる細胞を見る。

たとえば神経。たとえば手術のきれっぱし部分。たとえば病変とは関係ない部分の粘膜。たとえば筋肉、たとえば臓器の大きさ、血管の増え具合……。

これらがどのように変化しているかを探り、患者にはこんな苦しみが出ていただろうなと想像する。

細胞と関係ないことを聞いて、読んで、考えているからこそ、細胞をそれ以上に、診る。





「患者のことを想像しながら診断する」こと。実際、病理医にとって必要なスキル、とまては言えない。

だって、患者がどのように苦しんでいたとしても、もう手術は終わっているのだから。症状はすでに取り去られているのだから。顕微鏡をしっかり見ることが求められているのだから。

けれども。

「そこ」を想像せずに、がん「だけ」を見て仕事を終えてしまっては、いけないのだと思う。

単に理想論とか美談として語りたいのではない。




臨床医がやってくる。すでに診断を終えた患者の病理報告書を手にして。



「先生今ちょっといい?」

──いいですよ。

「これ、診断には何の文句もないんだけど、ちょっと聞きたいことがあって」

──どうぞどうぞ。

「この人、ふつうだったら背中が痛くなるはずの病気なんだよね。けど、今回は腹側が痛くなってた。関連痛ってことでいいのかもしれないけど、なんかちょっと解せなかったんだよな。もしかして病気の範囲が、腹側に及んでたのかな」

──なるほど、おまちください。ちょっとプレパラート出しましょう。一緒に見ましょう。

「ありがとう」

──ここですね、病気が神経にそって、前方に「這って」います。レポートにも書いてある神経周囲浸潤というやつですが、今回のは「ちょっと特殊な這い方」をしています。画像には映らなかったかもしれません、這っている細胞の量は決して多くないですから。けれど、這った先でだいぶ周囲に障害を与えていますね。ここは映っていたかもしれませんよ。

「ん? あっ、これか……ちょっと離れたところのこれ。これも病気の範囲なのか。そうか、だから前方に痛みが出るのか」

──病理診断上、この方が将来どうなるかを予測する上ではどうでもいい所見なんですけど、手術前の痛みを解釈することができる所見でしたね。

「そうかそうか、ありがとう」

──いえ、ぼくもこれからこういう像が出ていたらきちんとレポートに書き加えます。勉強になります。





……これは「理想」ではなく、「現実」にすべき診療のスタイルではないかと思う。誰のための診断、誰のための治療、そういったことを考えれば、ぼくらが細胞を見る「だけ」でいてよいのかどうか、答えは出るはずだ。