2017年9月8日金曜日

病理の話(119) とても役に立つ線維

人間の体の中にはさまざまなおトク物質がある。

多くの医療者が存在を知ってはいるものの、そのはたらきを正確に理解できていないものは、「線維」(せんい)だろうと思う。

今日は線維の話をする。



洋服の繊維、とは漢字が異なることに気を付けてほしい。体内で増えるセンイは「線維」と書く。なぜ漢字を書き分けているのか、理由は戦前の病理学もしくは組織学に端を発しているのではないかと推察するが、詳しくは知らない。

なお、「野菜をとると繊維がとれるからいいんだよぉ」の場合は、「繊維」でよい。元から体外にあったものについては繊維と書けばよい。ややこしい。



線維はどこではたらいているか?

一番身近なのは、ケガをしたとき、そのケガを「穴埋め」する線維である。

腕をどこかにぶつけて血が出たとしよう。

その部分、血が出ているからあんまり凝視したくはないのだが、実は、組織の欠損がある。欠けてしまっているわけだ。

欠けていると、まず第一に、防御力が下がる。ばい菌がはいってしまっては困るだろう。

次に、バランスが崩れる。周りの細胞が苦労して築き上げた構築がグラグラになってしまうのもまずい。

ということで、穴埋めをする。

一番かんたんな穴埋めは、みなさんご存じの「かさぶた」だ。

かさぶたは、血液の中を流れている血小板などによって、すみやかに形成される。仮のふたである。

自分ではがせるほど、もろい。

この仮のふたでひとまず穴をふさいでおいて……次に、人体は何をするか。

「線維」を作り出して、土のうで堤防をうめるように、空いたスペースを埋めていくのである。

このとき、線維はさまざまなはたらきをする。



まず、土のうとしての「強さ」がある。

そして、多少周りが動いたり歪んだりしてもびくともしない、「柔軟さ」がある。

さらに(ここからを知らない人が多いのだが)、この線維は、周りにある血管を自分の中に引き込んで、多くの栄養や酸素などを集める「人集め力」を持っている。これから時間をかけて修復していく必要がある場所の血流を豊富にすることは、災害現場に人を派遣するのと同じような意味をもつ。

また(これも知らない人が多いのだが)、線維はまわりの組織をぐっと引き寄せる「収縮力」を持っている。ヤクザの顔にある傷跡はひきつれているだろう。あの「ひきつれ」は線維によってもたらされる。なぜひきつるのか? それは、組織の欠損(穴)を埋めるために便利だからだ。ただふたをするよりも、傷口をぐっとひきつけて、穴を小さくしてしまったほうが、ふたがしやすいだろう。

最後に、組織の修復に成功した場合、線維は「吸収され、なくなってしまう」という性質をもつ。建築現場の足場は、工事が終わるととりはずされるだろう。あれに似ている。



このように、非常時に大変役に立つ「線維」であるが、ふだんは体の中にはあまりたいした量は存在していない。それはそうだ、工事の足場が常に街の中にあふれていては、ジャマでしょうがないだろう。

しかし、いざ! ケガをすれば、すかさず「線維芽細胞」と呼ばれる、文字通りセンイの芽となる細胞が集まって来て、そこに線維を作る。

この線維芽細胞を集める「号令システム」がまたとてもおもしろいのだが、長くなるので今日はやめておく。




おまけだが、線維の性質として「穴を埋める」と共に、栄養を集める「人集め力」があるのは非常に重要である。ここでうまく人が集まらない場合、ケガがいつまでも治らない。

また、このような便利な線維を、がん細胞もまた密かに「使えるやつ……」と狙っており、がんが増えるときには特殊な
「号令システム」により線維化を引き起こす。がんが「硬くなる」、「栄養を奪う」、「ひきつれる」のは、主にこの「本当は集まるタイミングじゃなかったのに集まってしまった線維」による。



人体の中にある仕組みというのは大変巧妙であるため、それをすり抜けたり、悪用したりする病気というのはもはや、インテリ詐欺師のようなたたずまいを見せる。線維ひとつとってもこれである。



おまけですが、これらの「線維」は、いわゆる食物センイ(漢字で繊維と書く方)とは全く関係がないです。これ書いておかないと、ケガをしたときにゴボウとかモヤシ食いまくるみたいな謎治療が提唱されかねないからな……。