2017年5月23日火曜日

病理の話(81) 天気予報的な診断学との付き合い方

統計というのはとても面倒で、しかも、「なんだ統計って、人間をものみたいに仕分けしやがって、もっとひとりひとりの顔を見て語れ!」とか怒られてしまうことすらあるので、おそらく大半の人にとって、なんだかあまり通り過ぎたくない、できれば関わらずにいたい、表札の下に猛犬注意と書かれた家の前の小路のようなものである。

……ブログの更新画面というのはいいなあ。

今のをWordで書いていたら、「助詞の連続」とか言って怒られてたろう。



統計というのは誰のためにやるものなのか?

えいやっと方針を決める医者のため。医者から聞いた方針を患者が納得するため。

一例を出そう。

胃に8ミリ大のポリープができた人。胃カメラでこれをプチッと採ってきた。てっきり「過形成性ポリープ」と呼ばれる命に関わらない病気かと思っていたら、「がん」だったという。

がん! びっくりするのである。

しかし、がんならみな命に関わるというわけではないんですよ、と言われる。

このがんは、胃粘膜の中に留まっていますから……。


「留まっているとは、なんですか?」



患者は尋ねる。医者は説明をする。

「がんというのは、しみこむ性質があります。しみこんで、転移をする。全身に広がってしまうと、一部分を採ってもすぐ再発をしてしまうので、手術ではなく抗がん剤などを使って、全身一気に治療をしてしまわないといけなくなります」

患者はおびえる。しかし、話には続きがある。

「でもこのがんは、粘膜内に留まっていますからね。まず、転移の心配はないわけです」

……まず、というところが気にかかる。

「正確には、粘膜内にとどまっているがんであっても、1%未満の確率で、リンパ節に転移します」

でた、確率。

「でも、1%未満ですから、このまま、様子をみましょう」

患者は釈然としないのだ。

1%未満であっても、確率が「ゼロではない」。

だったら、100人とか1000人が同じ病気であれば、その中のだれかは「がんが転移する」ということではないか。

いろいろ調べてみると、「リンパ節転移の確率があるならば、手術で胃を採ることも必要だ」と書いてある。

あわてて主治医に尋ねてみた。

「1%未満とおっしゃいましたけど、転移の確率がわずかでもあるならば、念のために胃をとってしまったほうが、安全なのではないですか?」

主治医は答える。

「でもねえ……胃をとる手術って、すごく安全ですけど、手術関連の合併症が出る確率だって、ゼロではないんですよ」

ああ……また、ゼロではない、だ。

「ごくわずかな確率でリンパ節転移をしているかもしれない症例で、ごくわずかではあるけれど死んでしまうかもしれない手術をする。これは、メリットとデメリットをてんびんにかけるような話ですから。あなたがぼくの家族なら、手術はおすすめしませんね。手術というのは、0.0何%程度とはいえ、副作用がある手技です。そういうのは、転移の確率が5%とか10%とか有り得る人にこそやるべきだ。転移する確率があなたよりはるかに高いときに考えるのがスジです」


確率、確率、確率……。

確率はいいよ。「わたし」はどうなんだ。「わたしの場合」はどうなるんだ……。






こういう感想が出ること自体、無理はない。

世の中には「絶対当たる予測」というものは存在しない。すべては確率によって定義される。あるのは結果だけ、いつも結果を完全に予測し得ることはない。

有名なフレーズがひとつある。

「世界に、絶対、と言い切れることがひとつだけある。それは、

  『世の中に絶対というのは絶対無い』

 ということだ。」

なんて。

でもそこでぶちあたるのは「確率」である。

確率はグラデーションだ。シロかクロかではない。グレーな部分を考えるためのものだ。

天気予報に、明日は絶対晴れると言って欲しい。

降水確率0%だ、と言っていた。やったあ!

でも明日になってみたら、雨が降った。なんだよ、天気予報はずれたじゃん!

……これは、天気予報の「当たる確率」が100%じゃないから、起こったことである。

予報するのが天気でなくてもいっしょだ。100%当たる予報というのはない。



「がんです」と病理診断を書くとき、「ぼくのこの診断がはずれる確率はどれだけあるだろう」と考える。その確率に応じて、書き方を変える。

「ほぼ間違いなくがんですが、臨床画像が非典型的な場合には一度ご連絡ください」

「がんの可能性が高いですが、臨床的にがんではない可能性があるならば再検討が必要です」

「がんか、良性腫瘍か、五分五分です。再度検査をして、もう一度病理診断をさせてください」



ぼくらが「絶対だ」と言えることが一つだけある。それは、「わからないことをこねくり回しても、わかるようにはならない」ということ。

わからないならば、そのわからない理由をきちんと述べる。

どうしたらわかるようになるのかを、臨床医に投げ返す。そして、投げ返した球と同じスピードで、あるいは投げ返した球を追い越すくらいのスピードで、臨床医に電話する。

「わかんないんですよ。だから、こうしましょう」

進言して、一緒に悩んで、先に進む。



その先にいる患者が今日も困っている。「確率って言われたって……」

たぶん、この病理レポートを見たら、患者は悩んで苦しむだろうなあ。

その想像、臨床医と同じくらい、病理医だって、持っていてしかるべきなのである。